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便利は幸せか? [こ・ら・む]

 携帯電話・パソコン。

 1980年代には殆ど普及していなかった。
 2000年代に入ってITは急速に進化した。
 SOHOや通信販売が極度に発達した今なら一歩も外出しなくても生きていけるかもしれ
 ない。
 
 ITが発達するに反比例して 人間は不幸せになっている気がする。
 携帯電話の爆発的な普及。
 何時いかなる時も誰とでも連絡がつく。
 便利なようでいて見えない鎖で拘束されている事実。
 緊急時に救急車や警察が呼べるというメリットは大きいが 反面、犯罪にも大きく関係し
 ている。
 携帯電話はネットに繋がる。
 が、これは殆どロクな事につかわれていない。
 いい大人はいい歳をしてゲームにはまりバカになる。
 子供からすれば、親がゲームしてるんだから何故、子供がゲームしちゃならん?という
 考えになるのも当然かな。
 どんどん知能を吸い取られていき、日本人の学力は低下するばかり。
 そのうちどっかの国に乗っ取られてしまうかもしれん。
 
 パソコンがあれば どこにも行かなくてもソコソコ楽しめる。
 1980年代、車を持っている事がステータスとされ 休日になるとこぞって皆が外出した。
 行楽地、歓楽街、商業施設は人で溢れた。
 今では 車は地球温暖化の悪の根源という印象の方が強い。
 買い物なんてネットで十分。
 車は売れず商店街はシャッター通りに変わり果て、景気は悪化する一方だ。
 
 居ながらにして何でも出来るという便利は本当に幸せをもたらしたのか?
 携帯電話の無い時代に 彼女と連絡をとる時の擦れ違いのやきもき感や期待感。
 目的地までの車中での楽しさ。
 どこかへ行かないと楽しめないという不便の中で得られる楽しさは既に失われてしまった。
 「不便を楽しむ」という文化は廃れていく一方。
 
 10年・20年後の世界はどうなっているのだろうか。
 少なくとも精神的に得られる充足度は今よりも更に低下しているに違いない。
 


 発達=成熟に近づく。
 1900年以降 急激に発達しすぎた人類。
 熟して落ちるのもそう遠くはない未来の話だ。
 300年先は人類はもう一人もいないと思う。

 1930~40年代の日本、産めや増やせで夫婦あたりの子供は2~10人は当たり前。
 当然、国土に対して人口は激増する。
 現在、出生率が下がっているのは自然の摂理に叶った当たり前の事だろう。
 数十年かけて国土に見合った人口にペイするような図式なのだろうか。
 地球からすれば人間はウイルスと同じで早く居なくなってくれれば良い存在に過ぎない。
 長~い地球の寿命からすれば「人類」が地球に居た期間は瞬きする程度。
 私は無神論者だが、神というものが居るとすれば 何をして人類を作ったのか?
 どこかで地球シミュレーションゲームをやっている神がいるのか?
 宇宙の果てってどこ?
 ワタシハダレ?
  
 安い酒を飲んで記事を書くとロクなものは出来ない。
 

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絶対に痩せる方法 [こ・ら・む]

 年末も近いので 精神的大掃除として今年の澱を吐き出します。
 
 知人にいつまで経っても痩せないとボヤいている人がいる。
 これまでに数えきれない程のダイエット方法を試してしたとか・・・。
 
 読むだけ・巻くだけ・飲むだけ・好きなモノを食べてもetcとかの方法があるらしいダイエット
 方法。
 どれも失敗したという。
 ここで言いたい。

 体重を減らす事を舐めるな。

 人間の三大欲求で最も生命に密接に関係している事は「食べる」という事だ。
 睡眠を減らそうが、性欲を断とうが 「個」としての存在は無くならないが「食」を断つ事は即
 「命」を断つ事になる。
 欲求に対して直接 且つ密接・強力に関係している「食」を制限する事を侮ってはいけない。

 今の日本では少々景気が悪くなろうと食べるもののグレードは下がっても味が少し不味い
 だけで摂取出来るカロリーなんて全然変わらない。
 手に入る食材が「安かろう・悪かろう」でも摂取出来るカロリーなんて全然変わらない(むしろ
 増える事が多い)
 命を繋ぐ事が出来ない程に食えない状況の人なんて私の周りには一人も居ない。
 多くの場合に「ストレス」は「過食」に振れる。
 簡単に食物を手にする事の出来る日本ではイライラすると食べ物にストレス発散を転化する
 人が多い。
 更に中高年になるとそれは顕著に表れる。
 何故に太っているか?を聞くと 殆どの中高年はこう答える。
 「同じ量を食べても若い時に比べて基礎代謝が悪くなっているから太る」
 BINGO!
 自分で分かっていながらも 食欲に抗えない精神力の弱さが肥満の原因だ。
 「趣味はダイエットです」と平然と答える人間の頭の中を開けたくなる。
 いつまでもダイエット産業に対価を払い続ければいい。
 医者は健康になるように患者を治療して皆が健康になってリピーターが来なければ廃業になる
 というジレンマを抱える。
 ダイエット産業はどうか?
 もし 私の頭が偉くてダイエット産業に関われるなら、劇的に減量出来るモノは作らない。
 「効果があるかないか?」のギリギリの線しかないモノを作って 芸能人を広告塔にしてカモから
 銭を絞りとってやる。
 そして、「個人の感想です」とCMを流してやるのだ。ワハハ。
 残念ながら このバカな頭脳ではそんなモノを何一つ発明する事は出来ない。


 
 人間の体重の図式なんて 誰でも分かっている。

 基礎体重+食物摂取量(カロリー)-運動量(カロリー)=現在の体重

 食うより動けば体重が減るし 食うより動かなければ体重は増える。
 日々、これの繰り返しによる結果が今の自分の姿でしかない。
 こんな簡単な方程式なんて存在しない。

 ダイエットが趣味というのであれば、最も金の掛からない趣味はダイエットだ。
 体重を増やすには食い物を買わなければならない。
 これを買わなければ金は使わなくても良い。
 食わなければ体重は増える事も無い。
 知っていながら この簡単な図式を断ち切れないのなら 一生太ったままでいればいい。
 しかし、生命に関係する「食」を制限するのは過食に慣れた人間には相当な覚悟が必要
 なはずだ。
 文字通り「覚悟」だ。
 何もしなくても楽に簡単に体重が落とせるなんて 甘い考えならば最初から痩せようと思わ
 なければいい。
 好きなものを好きなだけ食って太っていてもそれを幸せだと思えば良いではないか。
 事実、それは一部の国の人から見れば幸せなのだから。
 多くの発展途上国の国ではダイエット産業なぞはまず成立しない。
 ぬるま湯に浸かって生きていける国に生まれた幸せを感謝しながら過食すべきだ。
 
 食に関して私が最も贅沢だと思うのは
 季節の旬の食材を調理したての熱い間(おいしいうち)に必要なだけ食べる事。
 胃腸薬を飲む程 食べるなんてのは論外。
 「食い尽くす」とかの一部のTV番組は死んでも観ない。
 人間に生まれずに他の生物に生まれた場合を考えてみる。
 例えば食用牛に生まれて 屠殺されステーキとして番組のメニューにのぼる。
 ある芸能人が「もぅ食えねぇ~」と言って少し手をつけただけで残してしまって廃棄処分され
 てしまう。
 この牛は何の為に生まれてきたのだろうか・・・。
 無念の極致。
 聞いた話では あるバカ親が学校給食を子供が食べる時に「いただきます」と言う事に怒っ
 てクレームをつけたそうだ。
 こやつの言い分はこう。
 「ウチは給食費を払っているのに何故 いただきますと言わせる」だと。
 世も末。
 誰でも知っているように「いただきます」は「命をいただきます」という事だ。
 そのバカにはお前も皿の上に乗って考えてみろと言いたい。
 せめて食われる立場の存在に感謝しろ。
 自分の血肉となるものに対して感謝しろ。
 全ては親の教育。

 閑話休題

 
 元来、体重管理なんて簡単な事だ。
 本人の意志(自己管理能力)が体型になって表れているに過ぎない。
 事実、自分の事はさておき誰もが他人の事はそう見ている。
 趣味はダイエットなんて考えずに人の目なんて気にしないで好きなように生きればいい。
 肥満がいやなら生活を改めるべき。
 来年からでも遅くはねーよ。
 
 とは、その知人には言わない。(^_^;)

 


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命影郎 [こ・ら・む]

 昨日 本屋に行った。
 会計の際にレジで並んでいると私の前にいた30代前半に見える女性が今話題の
 本を持っていた。
 あ、ホントに売れているんだ・・・。

 私は本は読む方だ。
 まぁ、好きな作家以外は積極的には読まないが 大手ネット通販の商品レビューで
 小説の評価を参考にする事はある。
 さて、この作品。
 そのレビューでの評価は散々だ。
 読んでいないので作品の内容はさておき レビューを書いている人の中で辛辣でいて
 文学的な批評をしている人がいる。(レビューの大半は下らない嫉妬の稚拙な内容だ
 が)
 こういう人は人生の中で文学に触れる機会の多い人(よってレビューの信憑性は高い)
 で、実際に読んだ上でこの作品に対する評価は低い。
 数年の間、出なかった大賞をこの「ぽっと出の元タレント作家」が獲った事は、賞賛に
 値する。
 それが実力であれば。
 しかし 今までの流れを見るとどうしても疑問符が付く。
 2000万円もある賞金の辞退。
 作家で喰っていくとなると 印税とこういう賞金で生計を立てないといけないはず。
 何に遠慮したのか 賞金はいらないと・・・。
 ならば 恵まれない人に寄付すればいいのでは?
 「作家」というのは慈善事業では無い。
 そもそも 何故本名で作家デビューしようかと思ったのかが不思議だ。
 世間には本当に素性のしれない覆面作家がいる。
 そういう人は何らかの事情はあろうが、実力のみの勝負でこの世界を渡っている。
 業態は違うが芸能人の娘が 素性を隠してオーディションで合格し、銀幕デビューなん
 て話もよく聞く。
 そんなワケはない。
 どこの馬の骨か分からない人間を芸能事務所が抜擢するもんか。
 知らないのは苦労を知らずに育った当の本人だけという事もあろうかと思うが、実力も
 ない人間は人気も出ないし続かない。
 話題先行の瞬発力で胴元が懐を暖めるのだけ。
 この作品は早くも「すわ映画化か?」という流れになっているらしい。
 ホンマか?
 
 
 なんでこんな記事を書いたかというと、芸名を隠して応募したという作品が大賞をとって
 刊行されるにあたって地元新聞に本人の写真入りででっかく作品の広告が載っていたの
 を見たから。
 しかも本屋に行けば平台に山積みでしかも その横に並んで
「◯◯◯◯写真集」が山積
 みなっている。
 これのどこに 作家の力のみで賞を獲ったと思えるのだろうか?
 作家デビューから映画化までの一連の流れはあらかじめ予定されていたとしか思えない。
 形態は逆だが「松任谷由実=呉田軽穂」並みにどっちも周知の名称。
 
 この賞レースには1000作品もの応募があったと聞く。
 作家は(アイデアが枯渇するまで)作品を書けば書くほど文体は洗練され、表現力は向上
 し作品の質は向上する。
 この賞はポッと出の作家が獲る事が出来る程にハードルの低いレベルのモノだったのだ
 ろうか。
 ガチで勝負を挑んだ陰で泣いている作家の卵はどんな思いをしているのかね?
 見た目・性別・素性・家柄 全てのものを考慮しなくてもよい実力勝負でのし上がれる業界
 においても こういう事が起こるとどうすればいいもんか。
 マスコミに手玉にとられて簡単に踊らされる人間の多き事よ。
 ジャンプしたら小銭がバラバラと落ちてきよるわ。
 文学界の行く末を憂う。

 人によってはそういう作品に1500円弱を払うのも「価値」だろうが、かと思えば 大沢在昌
 氏は「ほぼ日刊イトイ新聞」でネット環境さえあれば新宿鮫Ⅹを「タダ」で見させて頂ける環
 境を用意してくれている。
 現代に於いて「文筆の真の価値」というのが分からなくなる。

 以下、余談

 ネットニュースでコメントが付いている記事によく「タレントの子供が親の七光りのおかげで」
 という書き込みをしているのを目にする。
 そういう書き込みをするヤツは 自分が成功して有名になって子供を同じような環境にしてや
 る事なんて考えはホンの一欠片も脳みそには無い。
 全ては僻み・妬みの産物。
 自分が変わる気なんてゼロなんで一生そのまま。
 今までに世の中が平等だった試しなんて無い。
 これからも・・・。
 
 永六輔さんが言っていた事で妙に心に残っている言葉。
 「平等ほど残酷なものはない」
 老若男女全ての人が平等であれば例えば老人やケガをしている人はシルバーシートには座
 れない。 というのだ。
 確かにその通り。
 平等というのは基本的な原則であって 且つ「思いやり」が必要なんだろうと思う。
 最近は思いやりに欠ける人間ばかりが目につく。
 オレが子供の頃はもっと 世の中はいい感じだった気がするがなぁ。  
 



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真価 [こ・ら・む]

kage.JPG
 人間って順風満帆(順光で光が当たっている)な時は良いんだけど、苦境に立たさせるとその人の
 真の姿が表れるのよね。
 辛い時に(逆光から見ると)その人のシルエット越しにうっすらと洩れ滲み出る部分こそ その人の
 本質で、そこが
人間としての魅力的な部分だと思う。

 桜も逆光で見ると花弁の淡紅色が更に儚く綺麗に見える。
 桜が美しいと思うのは こういった普通では見えないところ見た時だ。

 人間も本質を見るには 「その人が苦しい時にどう見えるのか?」で一番良く分かるし理解出来る。
 ある漫画のセリフで「その人を知るには その人が何に対して怒りを感じるかを知る事」というのが
 あったが、確かにそれも人を知る有効な手段だと思う。



 何だか最近 知ってる人達のブログが閉鎖したり休止したりしてる。
 ま、元気でありゃ別にブログなんてやらんでもいいんです。



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アルフレッド [こ・ら・む]

 色々とありまして更新が停滞しがちでしたが復活します。

 カラス.jpg
                     この黒いの全部がカラス

 カラスというのは嫌われている鳥だけど実は姿だけ見ると漆黒でカッコイイ。
 この鳥の個体数が朱鷺(トキ)並に少なかったら人の見る目は全然違っているだろう。
 数が多くて黒いものは嫌われるって事? ゴキブリとか・・・
 じゃ、ゴキブリが希少昆虫ならオオクワガタと同じく高値で取引されるのだろうかね?
 人間の価値観ってオカシイ。

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当たり前 [こ・ら・む]

 あの事件の差し戻し控訴審の判決公判が 本日あった。

 Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080422-00000006-maiall-soci

 判決は「死刑」

 当たり前。当然。 そんな言葉しか脳内に浮かばない。
 以前も この事件は当ブログで記事にしたが やっと遺族の望む 判決が言い渡された。

 この事件はあまりにもヒドイ。酷過ぎる。 もう、未成年云々とか除外しても人間の所業では無い。
 捕まった後も 遺族の感情を逆撫でする事ばかりだった。
 Mさん 対 死刑反対派弁護団 奇妙な図式。
 Mさんは頑張った。死者の名誉の為に。 その姿は立派である。尊敬に値する。
 対極はあの弁護団。 死刑廃止?加害者の人権を尊重? どこを押せばそんな言葉が出てくるのか?
 仮に弁護団の肉親が殺害されても犯人に「キミは更生すべきだから許してあげるよ」って言う?言うのか?
 人を一人殺めると死刑。 それ位しないと 最低な事件は今後とも後を絶たない。
 私は死刑肯定派である。 というか 犯罪被害者の人権尊重派である。
 将来を絶たれ、恨みと絶望の中に消えていく命。 そんな犯罪を犯す人間を許すわけにはいかない。
 
 元少年は差し戻し審の公判で、弥生さん殺害について「甘えたい気持ちで抱きつき、反撃され押さえつけた
 ら動かなくなった」とし、夕夏ちゃんについて「泣きやまないので抱いてあやしていたら落とした。首を絞めた
 認識はない」と述べた。 (Yahoo!ニュースより引用)
 私は遺族なら「バカにすんな! そんなアホみたいな理由がウソなんて誰だってわかる事だ。」と言うだろう。

 元少年が強姦行為について「弥生さんを生き返らせるため」としたことについて、「(荒唐無稽こうとうむけ
 い)な発想であり、死体を前にしてこのようなことを思いつくとは疑わしい」と退けた。 (Yahoo!ニュースよ
 り引用)
 この文で述べられているのは 山田風太郎氏の小説「魔界転生」の事である。小説内で剣豪が女性を自分
 の精子により受精させると生まれ変わる事が出来るといった内容だった。
 苦し紛れにしても どうやったらこんな言い訳が出来るのか・・・。全くもって言語道断な話。
 私は山田風太郎氏のファンなので 私情ではあるが更に憤りを感じてしまう。
 本当にあの加害者が「魔界転生」などを読んだ事などあるのだろうか?

 前にも書いたが、加害者がどんな重い刑を与えられようと被害者は決して生き返りはしない。
 あの世なども本当は無いのだから 故人は喜ぶ事など出来ない。ただ、この世から消えてしまった存在。
 しかし、被害者にしてやる事は犯罪に見合った罰を与える事しかありはしない。
 罰を与える事で 遺族の渇きが癒える事は無いにしても そうするべきなのだ。
 この求刑通りの刑が執行されたとしても 被害者遺族は将来にわたって癒えない傷をと想いを一生携えて
 いかなければならない。 これがどれほどに辛い事だろうか・・・。
 私にはただ、時間が遺族の方々のこの傷を浅く浅くしてくれる事を祈る事しか出来ない。
 出来る事ならMさんには幸せになって頂きたい。
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大逆転 [こ・ら・む]

 ブログ移転につき再掲載
 
 私は、今 世間一般でいうトコロの田舎に住んでいる。
 少し歩けば田んぼ、畑もあるし、小川や池なんてモノも沢山ある。よって 段々と春めいて来るのが、都会とは違ってハッキリと
 分かるのだ。
 暖かくなった今、池を覗くと 「オタマジャクシ」 がウロウロとし始めた。ご存知のとおり「オタマジャクシはカエルの子」である。
 これを見ると、ある事を思ってしまう。
 どれ位前だったか、テレビで 「カエル」 が長く伸ばした舌で 「トンボ」 を絡め取って捕食するシーンを見た。
 「!!!」 その時、私は気付いたのです。皆さんは、 「ヤゴ」 をご存知でしょうか?ヤゴはトンボの幼生時の姿で、川や湖沼
 などに住んでいるのですが、ヤゴの食料は小型の生き物を折りたたんだアゴを伸ばし噛みつき捕食する。主に、幼魚やオタマジ
 ャクシを食べているのである。(正しくは体液を吸う)
 もう、お分かりかと思いますが 子供の時のカエル「オタマジャクシ」は子供の時のトンボ「ヤゴ」に食べられ、大人になると、「カ
 エル」は「トンボ」を食べる。食われるモノが成長すると食う方に回る。知ってか知らずか、小さい時の仇を成長してから上記の様
 に仕返しするのである。その捕食の仕方も 長く伸ばした 「舌 もしくは アゴ」 で捕食するといった若干の違いこそあれ、ほぼ同
 じ方法なのだ。
 これらの事は、カエルの恨みの成せる進化なのか?それとも、神の仕組んだ生物の数のバランスを保つ為の所業なのか?誠に
 不思議なコトである。「人生?逆転」である。これと同じ事を考えた人は、世界中に何人いるだろうか?
 
 人間の場合はどうだろう?人間の社会では人間同士「食ったり食われたり」の所業は無い。そのかわり 子供の時(大人になっ
 てもやる一部の輩もいる)に「イジメ」がある。
 オタマジャクシやヤゴにイジメ問題があるとは思わないが、人間界の方が性質が悪い事は確かだ。人間の子供が、大人になっ
 てイジメた奴を食ってやろうとは思わない(と思う)が、根性のある「いじめられッ子」は 大人になって出世して 見返してやろう
 とし、実際 そうなった人物もいるだろう。大抵の場合、子供の時の「いじめっ子」は粗暴で配慮に欠ける人物の場合が多く、社
 会に出てからも大成する事はない場合が多い。これも、一種の「人生逆転」ではないだろうか?

 この世の中は、単純であり、複雑でもある。
 どれ位か先の時代になれば、環境破壊により住む所を失った巨大化したカエルが人間を、その長い舌で捕食し「食ってしまう」
 時が来るのかもしれない。
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アホか! [こ・ら・む]

 昨日の地域新聞を読んでいて疑問に思った記事があった。
 某大学が客員教授としてワイン女優を呼んで講義をやるらしい。 
 講義内容は「恋愛論」。
 彼女は世間では「恋愛の達人」とか言われているらしいが そもそも「恋愛の達人」って何だ?
 有名人との浮名を世間に流す事? 次から次へと恋愛相手を変える事?
 恋多き女(男)って何のステータスがある?
 そんなモンを「恋愛の達人」って考えるのはバカ。

 私の考える本当の「恋愛の達人」とは
 生涯と通して付き合っていけるパートナーを見つけられた人。
 死の直前に「この人といっしょにいて良かった」と心の底から思える人を探し出した人こそ「恋愛の達人」だ。
 出来れば初めて好きになった人がそういう人ならば「恋愛の神」とでもいえるのではないだろうか?

  
 そういう意味では そもそも独り身の私は「恋愛の達人」とは最も遠い場所にいる事は確か。


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運勢って? 2/3回 [こ・ら・む]

 前回の続き 

 運勢なども「いかがなものか?」と思います。 特に、「某有名占い師 」 などはナンじゃこりゃ????ってな印象です。
 昨今はテレビに出まくり(最近は飽きられたのか番組が無くなったですが)で 以前、母がその番組を見ていた為に仕方なく目にする事があったので仕方なく見てみると この人物も前回記事にしたように、「外れた時の逃げ道を仕込む占いの仕方」を使うのが常套手段で占いをしていました。 
 まぁ、占う対象者に「地獄に落ちる」とか「いついつにアンタは死ぬ」だの言っている時点で人間としてOUTなのですが、芸能人で こんな人の言う通りに 何のシガラミでか芸名を変える人物がいたのには失笑したもんです。
 金まみれの人間性を疑うような人物に鑑定されているヒト、とても気の毒です。 こんな人間の占いなんて とても信じる気にもなれないし・・・。
 「信じる者は救われる」って本当?
 
心から「人を救おう」って人は相手に対して見返りなんて求めないものです。
 邪な心(占う事での金銭の授受他)があれば 万が一、「占い」なんて力があっても正しい力なんて発揮されるハズはありやぁせんです。

 あ!それと前世なんてのもありゃあせんです。 仮にあったとしても 一切 記憶の無い前世に何の価値があるんすかね?
 自分が生きている「今」を大事にした方が良いでしょう?
 皆、前世の記憶が無いのだから 「本当は生まれ変わりなんて無い」のを自覚しているはずです。(宗教を否定しているわけではありません)
 でも、墓参りとかのご先祖様を敬う姿勢は大事だと思ってマス。 

 風水なんてのも 私は信じていません。 そもそも、「ドコドコの方向にナニナニの色のモノを置け」とか、「しょうもな~」と思ってしまうのです。
 全ての事に言えるのですが、ヤル人間はどんな駄目な状況に置かれていてもヤルし、ヤラナイ人間はどんな良い状況に身を置いてもヤラナイのです。 「こうすれば運気が上がります」 とかもデタラメだと思っています。
 運気=行動力 だと私は認識しています。 私の思う 「運、運気」 については次回のコラムにて記事にします。
 家なんてのも、日当たりのいい方向に窓があったり太陽があたる位置に洗濯物を干せれば それでイイんじゃないでしょうかね。 部屋なんかも無理をして風水通りにせずに自分のくつろぎ易く居心地のイイ部屋にいればいいんじゃないでしょうか?
 風水に極端に左右されて財布の色が黄色だったり、鬼門の方角がどうのこうのとか、過度の神経質な考えで持っている人は個人的に「ど~なんだ?」って思いますが・・・。
  更に、他人に風水を強制する人!そんな事はヤメテクレ。
 所詮、風水師なんてのも自分で今年の運のイイ色などを決めてムーブメントを起してグッズとかを売って、結局自分のフトコロを暖かくする事が目的なのですから。

 占い師、風水師などで 無償で親身に考えて頂ける人がいらっしゃるなら 信じるかもしれませんがね・・・。

 P.S 風水師の皆さん、部屋にあるタンスのカドに足の小指をぶつけた時の家具の位置が風水では最良の場所だとしたらドウデスカ?(最悪 小指の骨が折れていたとしたならば・・・)

*********
しかし、ブログの予約投稿って便利だの~。


タグ:風水 占い
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占いって? 1/3回 [こ・ら・む]

 私は以前に運営していたブログではコラムなんてモンを不定期に書いてました。バックアップが取ってあったんで、ここでアップします。

 占いって信じてますか? 私は全く信じてません。ちなみに、風水、手相、血液型占い、運なども同様です。
 多分、多くの人々は本当は占いなんて信じていないのに 自分に自信が持てない為、若しくは誰かにキッカケを与えてもらいたいと思う心が占いに縋っているのだと思います。 
 バカバカしいとは思いマスが、占いについてチョット私なりの検証をしてみます。

 ある人(オレ)が、朝 テレビで本日の占いを見ていた。「射手座生まれのアナタは本日は最下位の12位です。 あなたの今日のラッキーアイテムは納豆です。」 って やっていたとします。

 「?」 おそらく人類はほぼ1/12の確率で 射手座生まれである筈。 今日、この放送を見なかった人で普段と同じく何事も無く過ごす人が殆どでしょう。逆に人生で最高の日になる人もいるかもしれません。 しかも ラッキーアイテムの納豆は私が食べると口の中がカイカイになってしまいラッキーでも何でも無くアンラッキーアイテムなのです。 
 占い師が どういう根拠でこの占いをしたのか分かりませんが 一部の人はチョットだけ不運な事があったら、「あぁ、今日の占いで最下位だったからだ!」とこじつけて考え、この占いは当たっていると考えてしまうのでは無いでしょうか?
 今日の占いで一位だった人が本日のラッキーアイテム 「牛乳」でそれを飲んだ為にハライタを起して会社を休んでしまったとしたら・・・。
 この占いを猛烈に信じる人が、仮に本日のラッキーアイテムが「ひょとこのお面」です。と言われれば、万が一 それが家にあった場合、ひょっとこのお面を付けて外出するのでしょうか? 私が思うに皆から「あの人、変なヒト~」と指を差されて笑われて、子供からは「お母ちゃん!あの お面のヒト見て~」と言えば母親は「ダメよ、あの人と目を合わせちゃイケマセン!!」と危ない人扱いされて最悪の日になるはず。 
 そもそも、占いで順位をつけるとはどういう規定なのでしょうか? 6位、7位の平均的な運勢とはナニ?訳がわからん。 
 占い師は曖昧な部分を常に持たせて 対象者に事象をあてはめさせたり、ハズレた場合いの占い師の逃げ道を作っているモノなのです。

 P.S 占い師の皆様に質問しマス。ある日 自動販売機で1000円札を使ってコーヒーを買ったトコロ、お釣りが50円玉17枚に10円玉3枚の合計20枚の硬貨でお釣りが払い出され、小銭入れがパンパンに膨れ上がった日のワタクシの運勢は何位なのでしょうかな?

 と、クダランコラムは次回に続く
タグ:占い
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