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子ども [雑文]

最近のニュース・暗い話が多い。 気が滅入る。

光市の事件。いまだに 結論が出ない。残された旦那さんの心を思うと やりきれない。
又、高校生の男子がイジメにあって自殺した事件。 考えただけで腹が立つ。 最悪なのは そのイジメの手口。 未成年だからで許される事では無い。

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私だったら・・・ 以下、表現が適切で無い為に自粛します。 どうしてもと言われる方はドラッグ(ポインタで文章を囲んで) して見て下さい。

 もし、私が光市 母子殺害事件の被害者の家族だったら 犯人に法的手段を無視してでも報復するだろう。 私には あの方のような我慢強い強固な意思などは持ち合わせてはいない。
 何故、日本の法律はこんなにも甘いのだろうか? 過失で人の命を奪ってしまった場合以外は、人を一人でも殺めたら「極刑」でいいのではないか? 命を奪われた人よりも 現在も呼吸をしている「犯人」の生命を重んじる。 なんだ?このシステムは? 犯罪被害者が口をきけたなら 必ずこう言うだろう。「あいつを許さないで」と・・・。 

 又、イジメられて死を選んでしまった高校生の彼。 誰にも相談する事無く 消えてしまった命。 この事を考えると キリキリと心が痛む。 複数の加害者が存在して イジメにより人を死に追いやる。 過激なようだが私はこれも「極刑」に値する犯罪だと思う。
 私は被害者の親ならば、必ず報復する。 又、加害者の親ならば 子供を殺して自分も死ぬ事を選ぶ。

 年齢、被害者の人数などの理由により 「最悪の判決」 を 一部の極刑廃止を謳う弁護士達 に守られる加害者。 被害者には人権などはありはしないのだろうか? 「被害者の無念こそ 晴らして欲しい」 と思ってはいけない事なのだろうか?
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 私は結婚していないし、勿論 子供もいない。しかし、こんな事を思った。 罪を犯した未成年加害者も親の育て方で 全く違う人間に成長したのではないか?と。

この前、あるサイトでこんな言葉をみた。
スウェーデンの教科書に「子ども」という詩が載っているそうだ。感銘を受けたので下記に転載します。

「子ども」    ドロシー・ロー・ホルト

批判ばかりされた子どもは  非難することを おぼえる
殴られて大きくなった子どもは  力にたよることを おぼえる
笑いものにされた子どもは  ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた子どもは  鈍い心の もちぬしとなる

しかし、激励をうけた子どもは  自信を おぼえる
寛容にであった子どもは  忍耐を おぼえる
賞賛を受けた子どもは  評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した子どもは  公正を おぼえる
友情を知る子どもは  親切を おぼえる
安心を経験した子どもは  信頼を おぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは  世の中の愛情を感じとることを おぼえる

いい詩だ。 後半部分を実践している親御さんは、どれ位 いらっしゃるのだろうか?

私がジョギングしている時に出会う子供達は「こんにちは」と挨拶してくる。 とても気持ちが良いものだ。
彼等、彼女等が正しく 明るい未来に向かって進んでいる事を祈らずにはいられない。


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