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生きる事と死ぬ事 [雑文]

 子供の頃は周りのみんなは死んでも自分だけは死なないと本気で思っていた。
 とんだ御笑い種だ。
 命あるものはいつか死ぬ。
 絶対に。




 この最近、身体に異常を感じていたのでブログ更新を停止してました。
 その間に咽喉内視鏡検査と腹部エコー検査を受けました。
 喉の詰まったような感じがしていましたが、検査では見える範囲内には異常は
 ありませんでした。
 これはひょっとしたら食道に問題がある? 単にテレビで目にする逆流性食道炎
 ってものかもしれん・・・。
 ずっと痛かった右脇腹は腹部エコー検査で腎臓に小さなポリープを発見。
 取り敢えずは経過観察という事に。 
 更にエコー検査で分かったのは消化器官に「ガス」が溜まっているらしい。
 腸の折れ曲がるトコにガスが滞留して内部から圧迫されているので腹部の痛み
 になっている可能性があるとか。
 ガス消しの薬を処方してもらって只今のところ様子見の状態。
 まぁ、この2ヶ月の間は漢字検定の勉強詰めで一定姿勢が長かったのでロクな
 運動をしておらず こういう事になったのかも。
 ホント、昔から勉強に向いていない身体だわ。
 現段階でもまだ各所に若干の痛みと違和感があるので 悪化したら今度は精密
 検査が必要かもしれん。

 
 体調が日々悪化している時に 「本気でコレはヤバイ!」と思った。
 もしもの時を考えて この世からおさらばした後に遺品として発覚するとかなりマズ
 イものを処分しようとした。
 取り敢えずは一箇所に纏めているので いざという時には一括で処分出来るが、処
 分が間に合わなかった場合に全てが一発で露見する事になる。
 むむむ。
 他にも 流石に43年も生きていると「所有物」が凄くある。(趣味も多いので)
 これを機に少し処分した方が良いかもしれん。

 「もしも」を考えた時に独り身でラッキーだと思った。
 妻子が居たら死んでも死にきれんだろう。
 死を意識した時に意外な程にあっさりと受け入れられる事に気がついた。
 そうして思ったのは死んでしまうこと自体には恐怖はあまり無いが「死ぬのなら
 なるべく苦しまずに死にたい」と痛烈に思った。
 なんて弱いんだろうか、オレ。

 あのひとは今年が手術だと年賀状に書いていたが、ひょっとしたら私の方が早
 く逝くかもしれないと思った。
 万が一にも「あの世」なんて存在しないとは思うが、こっちが先に逝ったら三途の
 川で待ち伏せして「バァ!」って驚かせてやろう。
 「あんたが何で先におるん!」って言われるだろう。
 三途の川の渡り賃は六文銭だが、今のレートでは一体幾らだろうか?



 私は宗教家ではない事をまずは宣言しておく。
 死を意識してから「神」について考えた事を書いておこう。 

 私は神は居ないと断言する。
 神がいるのなら 物心もつかない子供が実の親に虐待で命を奪われている事の
 説明がつかない。
 生まれたばかりの子供には天罰を受ける謂われなど微塵もない。
 これが神の裁きなら 神も仏もあったもんじゃあない。
 その命、救ってやれよ。と思う。

 しかし、それでも神を意識する時がある。
 人間は誰しも心のなかに自分だけの神を棲まわせている。
 それは「道徳感=神」であり「背徳感=邪神」というのが近いだろう。
 「神の教え」は本来他人から教わるのではなく 社会生活から自分が得るものだ。
 基本は「自分にされて嫌な事は他人にしない」という事に尽きる。
 これさえ守れば本当は誰も不幸になる事はない。
 善行と積めば幸せになり 悪行を行えば天罰が下るというのは 自らが持っている
 道徳感の成せる業だ。
 それは「神様が見ている」と言い換えるのが近いだろうか。

 何かを信じて苦しみから開放される事は絶対にない。
 ましてや、金銭を払えば極楽に行けるなんてお笑いだ。
 苦しい時に縋りたいと思う弱った心を金を絡ませて搾取するヤツはそれこそ地獄
 行きの対象。

 生きる事に意味はなく、死ぬ事にも意味はないと考えている。
 でも、酔生夢死な生き方だけはすまい。
 死ぬと無になるだけだし、生まれ変わりなど当然ある筈もないので、せめて生き
 ている間は もがきながらでも一生懸命がんばろう。

 人生でこれ程に死を意識したのは2回目だが、その都度 人生観が変わる。
 出来るだけ笑いと幸せの種を撒きたい。

 あと、ご先祖さんは大事にする。
 

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