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ミニちゅあ作品「うらら」 制作後記. [#9 [うらら]]

 ミニちゅあ作品「うらら」を作るについては今までに語らなかった事があります。

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 2年位前になるだろうか?
 ある日の夕方、いつものようにジョギングをしていた。
 家から遠い場所にある空き地の前を通りかかると10人くらいの子供達が騒いでいた。
 その中の一人が走っている私のところに駈け寄ってきて「スミマセン」と言った。
 話を聞けば 捨て犬がいるのでどうすれば良いのか?という事だった。
 見ると子供達が囲んでいる真ん中に小ぶりのダンボール箱が一つ置いてある。
 近寄ってその中を覗いてみると犬種は分からないが一匹の小型犬が居た。
 その犬は老犬で白内障を患っているのか真っ白な瞳で私を見上げて震えていた。
 目が合った時に その犬の感情が流れ込んで来たような気がした。
 「・・・」
 捨てられたのだ。
 飼い主は最後まで責任を果たす事無く全ての責任を放擲してこの犬を捨てた。
 言葉は悪いが この飼い主に殺意を覚えた。
 飼い主とこの犬には共有した今迄の時間で楽しい時もあったろう。
 しかし、老いて自分に必要以上に手間をかけるようになった瞬間に「家族」から「モノ」に変わったのだろう。
 要らないものは捨てる。生き物もゴミと一緒としか思っていない人間。
 こんな人間がペットを飼うという現実。
 腹が立つ。
 その時は携帯電話も持っていないし、居住地区も違うのでどうしようも無かった私は 子供達の中で一番
 年長の子供に「親に言って然るべき場所に連絡するように」と言うと「わかりました」と答えた。
 その時にどうしても釈然としない気分になり 取り敢えず走って一番近い動物病院に行って事情を説明した。
 その病院の先生は 若干 迷惑そうに見えたが話を聞いてくれた。
 次の日にどうしても気になって 空き地に行ってみたら ダンボール箱は無くなっていた。
 年長の子が一時引取って保健所に連絡したのか、動物病院の先生が対処してくれたのか 又は別の事が
 起こったのかは分からない。
 とにかく そこには老犬の姿は無かった。
 ひょっとすると 既に処分されていたのかもしれない。
 そうでなくても そう遠くない未来には確実にこの世にいなくなるだろう。
 やりきれない気持ちを抱えて2時間かけて四つ葉のクローバーを探し花を摘んでダンボールが置いてあった
 場所に置いた。
 この事は今でもハッキリと覚えている。
 あの犬の白い瞳は忘れられない。

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 運命というものがあるのなら この出会いがそうだったのかもしれない。
 ミニチュア制作の抽選に当たった方は逝ってしまったペットとの思い出を作品にして欲しいと希望された。
 この作品の当初は「作って余っていたスノーマンを使った簡単な作品」だった。
 愛して家族同然だったペットとの思い出を残したい。
 そういう思いに触れ作品の方向性は変わる。
 「贖罪」
 あの時に何ひとつも出来なかった私が何かをするのならば この機会に便乗するしかない。
 これがあの老犬にとっての弔いの意味があるとすれば私も一緒にこの作品に思いを込めたいと思った。
 モチベーションの低下、スランプ、体調の問題など色々あったが1年半かかって完成した。
 あの無責任極まる老犬の飼い主とは真反対の最後まで介護して送ってあげる事の出来る飼い主である
 高木さんの為に出来る事は全てやった。
 この作品は高木さんの為と言いながら その実 自分の為だったのかもしれない。
 黙っているのは申し訳無いので この記事で私の思いを明らかにしておきました。
 
 ・・・・・・
 最後に この間、高木さんから頂いたメールの一部です
 
 「うらら」が金曜日に到着して、それを待っていたようにアルダは日曜日の午前に
 逝ってしまいました。「お母さん、うららが届いたからもう寂しくないでしょう?」と
 思ったのかもしれません。
 私の希望だった「娘達との楽しい日々の思い出」をしっかり表現してくださいました。
 有難うございます。途中壁ににぶち当たりながらも、頑張ってくださいました。
 今、私の机の上に飾ってあります。子供達にはウン十年後に私が亡くなった時には
 お棺に入れて欲しいと伝えております。お許しいただけますか?
 平面の写真からよく立体を創り出してくださいました。エル、完璧ですよ♪
 アルダも桃も完璧よ♪エルが身を任せて寝ている姿は芸術と言っても過言ではございません。

    ・
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    ・

 実はこの作品で作った高木さんの家族 シェパードの「エル」「アルダ」雀の「桃」も皆 この世には居なく
 なってしまいました。
 この作品が「アルダ」がまだ生きている間に到着したのがせめてもの救いでした。
 「うらら」を作る事で私と高木さんの思いが一つになれたのであれば費やした時間に価値があったと思います。
 もし天国があるのだとしたら 「エル」「アルダ」「桃」そして あの「老犬」が一緒に幸せにしていればいいなぁ・・・
 と思っているのです。
 私は決して褒められた人間ではありませんが 誰かの為になれたとしたら 生きた甲斐もあろうというものです。
 結婚してなく(するつもりもありませんが)子供もいない私にとっては この「うらら」は子供同様に生きた証となる
 のでしょう。



 高木さん
 >子供達にはウン十年後に私が亡くなった時にはお棺に入れて欲しいと伝えております。お許しいただけますか?

 「うらら」は既に私の手を離れて100%高木さんのモノです。
 どのように扱われても問題ありません。

 今思えば高木さんと知り合えたのも 何かの縁だったのでしょう。
 共有した時間はとても有意義でちょびっとの苦しさと沢山の楽しい時間でした。
 ありがとうございました。
 「うらら」を大事にしてやって下さい。
                            モクゾー

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コメント(2) 

コメント 2

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高木ブー

大事にさせて頂きます!この1年余りの時間、私には楽しい時間でした。
モクゾーさんにはお苦しみの時もありましたよね?モクゾーさん、辛い体験があったのですね。

もともと私は動物が好きでした。でも初めて自分が責任を持って飼ったワンコ
ドンからアルダまで25年の歳月がありました。その間に自分の子育ても
ありました。そして感じていたのが知恵がある分、人間て見苦しい!

桃は私のせいで寿命を全うできなかったので思いは別ですが
三頭のワンコ達の潔さ、優しさ、気配り。人間など足元にも及びません。
アルダが逝ってしまった後に友達から言われました。そんなにワンコが
好きなら廃棄処分になるワンコを引き取れと。出来ません、私には。

保健所に明日、明後日、明々後日と殺される順番に並んでいる沢山のワンコの中から
1匹選べません。残りのワンコは全部殺されるのです。

モクゾーさんが出会った老犬ワンコも私の娘達も天国があるとすれば
天国に入国出来ますとも。

モクゾーさん、本当に有難うございます。失った悲しみより一緒に
過せた楽しい思い出が私の心に残ります。

これからもモクゾーさんのブログ、覗いちゃいます。小休止があっても
必ず続けてくださいますように。本当に有難う!



by 高木ブー (2009-08-19 23:27) 

モクゾー

::高木さん::

最後に本当の事を書きました。
色んな事で自分が無力な事に気付きます。
「贖罪」とはいっても、「だからなんなの?」と思う人もいるとは思いますが それし
か方法が思いつかないのでこういう事にしました。
結局は全てがひとりよがりだったのかもしれません。
でも、高木さんと共有した時間は私に限っては意味のある時間・モノになったと
思っています。

無責任な人間には将来にそれに見合った「因果応報」的な事が起こるでしょう。
何でもそうですが 最近は「他人に迷惑をかけず自分の許容能力に応じた事で
管理する」という基本的な事が出来ない大人が増えています。
少なくとも自分や自分に関わる人はそれを守らせるべきでしょう。
生き物は「モノ」では無い。
それを分かっていない人間の多い時代。
残念です。

最後になりますが、高木さんと共に生きたペット、いや、家族は幸せだったと思い
ますよ。

長い間 お付き合い下さいましてありがとうございました。
これにて「うらら」は本当に終わりに致します。
では。
by モクゾー (2009-08-20 20:45) 

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