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便利は幸せか? [こ・ら・む]

 携帯電話・パソコン。

 1980年代には殆ど普及していなかった。
 2000年代に入ってITは急速に進化した。
 SOHOや通信販売が極度に発達した今なら一歩も外出しなくても生きていけるかもしれ
 ない。
 
 ITが発達するに反比例して 人間は不幸せになっている気がする。
 携帯電話の爆発的な普及。
 何時いかなる時も誰とでも連絡がつく。
 便利なようでいて見えない鎖で拘束されている事実。
 緊急時に救急車や警察が呼べるというメリットは大きいが 反面、犯罪にも大きく関係し
 ている。
 携帯電話はネットに繋がる。
 が、これは殆どロクな事につかわれていない。
 いい大人はいい歳をしてゲームにはまりバカになる。
 子供からすれば、親がゲームしてるんだから何故、子供がゲームしちゃならん?という
 考えになるのも当然かな。
 どんどん知能を吸い取られていき、日本人の学力は低下するばかり。
 そのうちどっかの国に乗っ取られてしまうかもしれん。
 
 パソコンがあれば どこにも行かなくてもソコソコ楽しめる。
 1980年代、車を持っている事がステータスとされ 休日になるとこぞって皆が外出した。
 行楽地、歓楽街、商業施設は人で溢れた。
 今では 車は地球温暖化の悪の根源という印象の方が強い。
 買い物なんてネットで十分。
 車は売れず商店街はシャッター通りに変わり果て、景気は悪化する一方だ。
 
 居ながらにして何でも出来るという便利は本当に幸せをもたらしたのか?
 携帯電話の無い時代に 彼女と連絡をとる時の擦れ違いのやきもき感や期待感。
 目的地までの車中での楽しさ。
 どこかへ行かないと楽しめないという不便の中で得られる楽しさは既に失われてしまった。
 「不便を楽しむ」という文化は廃れていく一方。
 
 10年・20年後の世界はどうなっているのだろうか。
 少なくとも精神的に得られる充足度は今よりも更に低下しているに違いない。
 


 発達=成熟に近づく。
 1900年以降 急激に発達しすぎた人類。
 熟して落ちるのもそう遠くはない未来の話だ。
 300年先は人類はもう一人もいないと思う。

 1930~40年代の日本、産めや増やせで夫婦あたりの子供は2~10人は当たり前。
 当然、国土に対して人口は激増する。
 現在、出生率が下がっているのは自然の摂理に叶った当たり前の事だろう。
 数十年かけて国土に見合った人口にペイするような図式なのだろうか。
 地球からすれば人間はウイルスと同じで早く居なくなってくれれば良い存在に過ぎない。
 長~い地球の寿命からすれば「人類」が地球に居た期間は瞬きする程度。
 私は無神論者だが、神というものが居るとすれば 何をして人類を作ったのか?
 どこかで地球シミュレーションゲームをやっている神がいるのか?
 宇宙の果てってどこ?
 ワタシハダレ?
  
 安い酒を飲んで記事を書くとロクなものは出来ない。
 

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